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ブルース・リー(李小龍/Bruce Lee)のお墓参り

2018年6月
ボーイング工場見学の翌日に、ブルース・リー(李小龍/Bruce Lee)のお墓を訪れました。

シアトルにある事を知らない方が多いと思います。
今となっては、彼の存在を知る人も減少しているかもしれません。

少なくとも2021年現在、40代以上の人にはなじみ深い存在なのではないでしょうか?

小学生の頃、縄跳びを使ってヌンチャク遊びをしたり

香港映画が流行り始めた頃は、運動神経の良いぽっちゃり男子は「サモハン」とあだ名付けられていませんでしたか?

お墓へのアクセス

ダウンタウンを北上した位置に、彼の墓のあるレイク・ビュー墓地があります。

ダウンタウンからメトロバス10番に乗り Grandview PI E & E Garfield St 下車。

商店など見当たらない、ごく普通の住宅地で下車しますのでgooglemapの案内を頼りにひたすら歩きます。

恐らく20年以上前なら絶対に一人ではたどり着けないと思います。

下車した住宅街は前庭の美しい家が多く、途中立ち寄った公園には、大木がお花で飾り付けされていました。
心細い気持ちも、随分と払拭されましたよ。

緑いっぱいの公園で、子供たちが遊ぶ風景を見かけましたし、環境の良いところのようです。

ようやく入口に到着です。

とりあえず歩くとこの様な看板が見えたので、間違っていないのだろう。

芝生の手入れをしている男性に「ブルース・リーのお墓はどこにあるのか?」と訪ね、なんとなく道を指された方向に行ってくと、広大な墓地を眺めると数人の東洋人に囲まれたお墓を見つけました。

「ここしかない。」(”don’t think.feel”です。)

ついにお墓に到着

私がお墓に到着した頃には、すでにお墓参りの方は去っていました。

ブルース・リーと、息子ブラントン・リーのお墓並んでいます。

私が小学生の頃はまだブルースリーの真似事をする男の子が多かったですし、私自身金曜ロードショーなどで見た記憶があるので1980年代には生きていた感覚があったのですが、私が生まれる前にはお亡くなりになっていたのですね。
没後10年近くたっていても、小学生達が真似事するとは如何ほどの影響力か思い計られます。

 

夫であり父、息子であり兄弟のあなた方は、いつも私達と一緒です。/リンダとシャノン

こんなメッセージを読むと胸が熱くなります。
娘さんがいたとは知りませんでした。
ブルースリーの死は諸説ありますし、息子さんも誤って実弾で亡くなり、親子で謎めい死を遂げている事は、スター性との引き換えになっていると思わずにいられません。

墓地からは遠くにユニオン湖を眺める事が出来、とても気持ちが良いです。
シアトルって水に囲まれた都市なんですね。
「墓地なのに気持ちが良い」って、変な表現ですが。

墓地を見渡す。遠くにユニオン湖。

シアトルにお墓がある事を知った理由

かれこれ20年以上前、初のアメリカ合衆国上陸(ハワイ除く)し、西海岸縦断一人旅を試みていた時にサンフランシスコのドミトリーに滞在していました。
比較的多くの同年代の日本人が滞在していて、世界一周計画を計画ている人、サンフランシスコの留学準備をしている人、私同様ひとり旅女子、色んな人が次の行き先、将来の話や若者特有の世間話に花を咲かせていました。

その中にドイツ人のクォーターの男の子がいまして、

「今から、シアトルに行くなら、ブルースリーのお墓に行ってみて欲しい。
ブルース・リーも僕と同じ、ドイツ人のクォーターで大好きなんだよ。」

と、言われたのです。

行く予定だったシアトルでは、アメリカ一周旅の友人と合流する事になっており、行くことは無理だという事は分かっていながら

「うん、行けたら行ってみるよ」と答えていました。
(大阪人的な返しですね。)

かろうじて1990年代、まだスターバックスが今ほど拡大しておらず、イチローはオリックスに在籍していた時代ですので、
スペースニードルでも行って、CMでシアトルのコーヒーの事を聞きかじっているからカフェでも行けば良いと思っていました。
90年代、ジョディ・フォスターの「シアトルあたりじゃカフェラッテ」のCMが流れていませんでしたか?
今見たら、クレモンティーヌの歌と映像がマッチしていて洒落ていますよね。

20年以上もの間、ブルースリーのお墓の事が気がかりで心に引っかかっていました。
旅に貪欲というのでしょうか、絶対訪れるだろうと思っていましたから。
行けて良かった。
そしてまた、シアトルを訪れた際は行きたい。

ボーイング工場ツアーの時のガイドさんに、このお墓の事を聞いても「何にも面白い事ないし、墓だけだよ?」みたいに言われたのが残念だったのです。
旅行業者の人にとっては、面白みがないんでしょうか。
確かに、周りにお金を落とす場所は無いし、ツアーで行こうにも住宅地の中にありますから、地元住民に迷惑をかけてしまいますからね。
危険なエリアではないですし、個人の力で行けます。
何にもないけど景色だけの楽しみってあり、その地への訪問は格別に思い出に残る。

ブルースリーとシアトル

サンフランシスコ生まれ香港育ちの彼は、大変やんちゃな青年だったらしく、お父様は彼に渡米を促しました。
その時は100ドルだけ握って渡米し、サンフランシスコの後にシアトルに住み職業訓練校やワシントン大学へ進んだそうです。

シアトルで新聞配達や中華料理の皿洗いなどをしながら、武道の鍛錬に励み截拳道(ジークンドー)を確立。
私がお世話になったドミトリーのそばに中華街の門があり、「もしかしたら若き日のブルースリーもその辺りを闊歩していたのかしら?」とワクワクします。

シアトルの中華街の門

奥様と出会って結婚して、ブランドンを授かったのもシアトルです。
彼の人生にとって大切な土地に違いありません。

ブルースリーのアメリカ生活について調べているときに、大変勉強になるブログを見つけました。
大変おすすめです。

 

幼い頃、金曜ロードショーなどで父の背中越しで観た「燃えよドラゴン」の鏡の間がとても印象的で、傷から出た血をなめて興奮するシーンなどは怖いのだけど、とてもカッコよくて魅了されていました。
大人になって「燃えよドラゴン」はジャッキーチェンやサモハンキンポーも出演している事を知り、そういうのを見つけるのも楽しかったり。
「ドラゴンへの道」のチャック・ノリスがちょっと可哀そうに思えたり、撮影半ばで亡くなった「死亡遊戯」はちょっと残念。
「好きな男性の筋肉は?」と聞かれたら「広背筋」です( ´艸`)

ところで、ブルースリーのドイツルーツには諸説ある様ですが、wikipediaにはコーカソイドをルーツに持っている様に書かれています。

いずれにせよ、彼がルックス的にも恵まれていた理由なのでしょう。

香港のブルースリーのお家

香港のブルース・リーの邸宅は、近年ラブホテルとして使用されていたらしいのですが、2019年にファンの声も届かず取り壊しとなりました。
何かと不安定な情勢の香港ですから、コロナ渦後に訪れるのも控えるしかなさそうですが、残念な話です。

雑感

お墓のあるエリアの住宅町の小道が緑に溢れ、墓地からの湖の眺めも美しくブルース・リーさんのお陰で、ありふれた情報では見る事のない場所に辿り着けました。
周りの評判よりも、「自分が行きたい場所」、それが間違いないのだと実感しました。
ガイドさんの事を批判しているのではなく、日常生活においてもです。
ブルースリーの生き方同様、自分が信じた道が間違いないのでしょう。
歳を重ねて頑固になるのとは分別しないといけませんが。

そして、ブルース・リーの生涯を想うにつれ、アメリカ西海岸で見かけたり出会った、アジア系アメリカ人の方々が経験したであろう「ガラスの天井」の事を思わずにいられないのです。